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【お勧め映画】少林寺 達磨大師

ソシュールです♪

いきなりですがソシュールのお気に入りの映画「少林寺 達磨大師」をご紹介。



ラスト15分くらいのところをご覧に入れます。是非観てみてください。
中国語ですが字幕が繁体字と英語なのである程度お解りになると思います。

お見せしたいシーンは、面壁九年で食事も摂らず、馬で引っ張っても動かなかった達磨大師が見世物になり、少林寺を金銭的に潤して僧侶も金の亡者になっているところへ盗賊が乱入。
そこへ面壁九年から目覚めた達磨大師がカンフーアクション。

しかし「敢えて」死んでみせるというところ。
(動画では「皮肉」のシーン、再び旅立つシーンも入っています)

それではご覧ください。




この動画の凄いところは「盗賊なんか簡単に蹴散らせるのに『敢えて死んでみせる』」というところであるのは前述の通りですが、これこそがソシュールが考える大乗仏教の凄いところです。


ここでジャック・ラカンによる<対象a>を援用します。
我々の欲望の源泉はラカンに拠れば<対象a>と呼ばれます。
それは、4つの部分対象に別けられます.

「まなざし」「声」「乳房」「糞便」です。

まだ4つの部分対象をバラバラに認識している時(嬰児の時)、「糞便」を提供する事によって、「まなざし」「声」「乳房」が自動的にやってきます。
まだこの段階では、4つの部分対象に過ぎません。
 しかし、それぞれが統合されて【母の】「まなざし」「声」「乳房」と認識された時、部分対象としての「まなざし」「声」「乳房」は失われます。

我々が欲しているのは【すでに失われた】「まなざし」「声」「乳房」であり、欲望が向いている方向はそれぞれのがあった筈の『跡地』です。(「母」に統合された時点でそれぞれは消滅しています)

それゆえ「糞便」というモノを物神崇拝的に捉え「金銭に入れ替え」られる事によって、欲望を満たすための手段として欲されるのです。

ここら辺は、副官に「ジャック・ラカン」と名前を付けているマクダウェルさんがお詳しいと思うのですが、きっと出ていらっしゃらないでしょう(笑)


さて、達磨大師に戻ります。
金銭(糞便)に目の眩んだ者達(僧侶、盗賊)は、達磨大師が「敢えて死ぬまで」本当は自分たちが何を欲しているのか理解していません。

そこへ達磨大師が現れ「敢えて死ぬ」ことによって「実は自分たちは金銭(糞便)を欲しているのではなく、常に既に失われている『まなざし』『声』『乳房』を欲しているのだ」と気づかされます。つまり糞便(金銭)によって「何不自由ないあの頃」、言い換えれば現世の苦しみからの「救い」を欲しているのだという事を悟らせます。

ここが広く衆生を救わんとする大乗仏教の凄みです。
そして「救い」とはなんであるか、「救う」とはなんであるのか考えさせる事が、菩薩道であると、この映画は訴えているのです。
更にそれを裏返して言うと(何かを欲している)「私とはなにか」、「何を欲しているのか」を考えさせる貴重な映画であるという事が出来るでしょう。


年始なので真面目に書いてしましました。
どっとはらい。

▼ラカン出されたら余計に解からねぇよ、と思われた方、慣れてないと確かにそうだとソシュールも思いますので、とりあえず「バナーぽち行為」よろしくお願いします。



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